教えのやさしい解説

大白法 519号
 
折伏正規(しゃくぶくしょうき)
 「折伏正規」とは、末法における正法(しょうぼう)弘通(ぐずう)の方軌(ほうき)が折伏に存(そん)することをいいます。
 仏が世(よ)に出現されるのは、一切衆生を成仏に導くためですが、仏は衆生を導くために摂受(しょうじゅ)・折伏という二つの方法を用(もち)いられます。
 摂受とは摂引(しょういん)容受(ようじゅ)の義で、衆生の機根に応じて法を説き、次第に誤りを正して真実に導く方法です。
 折伏とは破折屈伏(くっぷく)の義で、衆生に邪義の存在を許(ゆる)さず、直(ただ)ちに破折し屈伏させて真実に導く方法です。
 釈尊の化導を見ると『方便品(ほうべんぽん)』に、
 「十方(じっぽう)仏土(ぶっど)の中には唯(ただ)一乗の法のみ有り二無く亦(また)三無し仏の方便の説をば除く」(新編法華経一一〇)
と説かれているように、爾前(にぜん)の経々は法華経へ誘引(ゆういん)するための随(ずい)他意(たい)の教えであり、法華経は仏の真意である随自意(ずいじい)の教えです。釈尊は爾前方便の摂受を用いて衆生の機根を調養(じょうよう)した後(のち)、折伏によって法華経の正義(しょうぎ)を説かれました。
 この折伏の相(そう)について天台大師は、『法華玄義』に、
 「法華の折伏は権門(ごんもん)の理(り)を破(は)す」
と説いています。法華経の教えそのものが真実であり、そこに爾前の経々を破折し斥(しりぞ)ける意義が存(そん)するために、法華経が折伏門に当たると示しています。
 しかし、再往(さいおう)、日蓮大聖人の文底下種の仏法が顕れた上から拝するならば、釈尊自身が迹(しゃく)を帯(お)びているため、法華経といえども摂受門(しょうじゅもん)に属(ぞく)し、真実の折伏門とはいえません。
 次に大聖人の化導(けどう)の上から摂折二門を拝するならば、『開目抄』に、
 「夫(それ)、摂受・折伏と申す法門は、水火のごとし。火は水をいとう、水は火をにくむ。摂受の者は折伏をわらう、折伏の者は摂受をかなしむ。無智・悪人の国土に充満(じゅうまん)の時は摂受を前(さき)とす、安楽行品のごとし。邪智・謗法の者の多き時は 折伏を前とす、常不軽品(じょうふぎょうぼん)のごとし」 (御書五七五)
と、末法は摂受を用いず折伏による弘教(ぐきょう)こそ正しい方軌(ほうき)であるとお示しです。大聖人の弘教の方軌は、四箇(しか)の格言(かくげん)のごとく法華の大慈悲の折伏にあるのです。
 この折伏に法体(ほったい)・化儀の二種類があります。
 法体の折伏とは、大聖人の御修行、すなわち外道(げどう)・小乗・大乗・法華経迹門・本門を破折して三大秘法を建立されたことをいいます。第二祖日興(にっこう)上人以降(いこう)は、僧宝による法体伝持(でんじ)の折伏となります。
 次に、化儀の折伏とは、法体の折伏により顕される三大秘法の正法正義(しょうぎ)を全世界に流布し、唯一(ゆいいつ)絶対の信仰を多くの人々に受持させることをいいます。『三大秘法抄』等に説かれている戒壇建立に向かって努力精進する行業(ぎょうごう)です。
 来る平成二十一年『立正安国論』正義顕揚七百五十年へ向かって、大聖人の三大秘法に未(いま)だ縁していない衆生や退転した衆生に対して折伏を行じていくこと、これが「折伏正規」の実践です。